2011年3月9日水曜日

Jackson Kayak powered by Apple: Jacksonはアップル使ってるんだ!

タはPaddling Instructorです。設計、精算、決済までJacksonはアップルを使っているというアップルの事例紹介です。実に綺麗に仕上がっています。テスティモニアルってやはり説得力ありますよね。「ああ、XXXも使ってるんだ」という前頭葉直撃のメッセージ。こういったビデオを作るマーケティングは実に用意周到に演出を考えても、受け手は極めて感覚的。このデジアナ変換がマーケティングの面白さです。事例紹介としては実に簡潔な文章。そしてカヤックとiPhone, iPadの絡ませ方にセンスを感じるな。

Jackson Kayakの事例紹介はこちらからどうぞ。Erickが出演しているテスティモニアルビデオはなかなか良く出来ています。因みにビデオの中でErickがかぶってるヘルメットはWRSIですよね?おっといけない、マーケティングの罠にはまりそうだ。
















2011年2月28日月曜日

男鹿川で雪見川下り

木県に男鹿川あり。男鹿とはまた勇壮な名前じゃないか。しかし、この男鹿川は実にユル~イ川なんです。御岳で言えば沢井より下流の区間でしょうか。いつもスパイシーな川を求めて放浪する僕からすると、今回の男鹿川は膝かっくんで前のめりといったところでしょうか。

でも、このユルさがたまりません。本当はちょっとヤバイ核心部のあるアッパーに行く予定だったのですが、残雪での足場の悪さと、その他のリスクを検案して今回はアッパーは見合わせました。

当日のメンバーは、沢山です。沢山でした。いつものメンバーに、福島カヌー教会の元やん、水戸CCのナスミンが加わりました。この2人も、よく一緒に漕いでいるので、ある意味いつものメンバーと言えます。


























さて、男鹿川。誰で樂に下れる素晴らしい川です。核心部と言えるようなポイントも特にありません。水質がまた極上なのも特記事項でしょう。御岳の沢井から下れることが出来る方なら、誰でも下れる優しい川です。ダイビングポイントも2,3箇所あります。この寒さにも関わらず、お約束通り泳ぎだす猛者が複数名いたことを報告しておきます。

今回はelfの皆さんと現地で合流したため、13名の大パーティーです。ユルい川なので、女子高生が歩道いっぱいに広がっておしゃべりしながら歩くように、それぞれ勝手気ままに下りました。川岸には冬がそこにいた証の残雪がありました。しかし、晴れ渡った空と日差しの変化に春をしっかり感じました。激流だけがカヤックじゃないんですね。こんなカヤックも実に味わい深くていいものです。

2011年2月21日月曜日

WRSIのヘルメットの次はVA2ORだ!

ではWRSIのヘルメットがブームのようです。安全を主眼に設計したヘルメットは、カヤック仲間の整形外科医が認める程です。医学の名門、ジョンホプキンス大学の研究室で作られたというのは伊達ではありません。比較的地味なデザインですが、クリーカーがチンガード付きで購入するケースが多いようです。

さて、本日Kayak Sessionを読んでいたらA NEW BRAND OF CARBON HELMETSというタイトルでフランスの新しいヘルメットブランドの紹介記事が掲載されていました。メーカーの名前はVA2OR。このフルカーボンヘルメット、カッコイイです。さすがフランスです。デザインはメビウスの輪をモチーフにしたかのような幾何学模様に、対比のはっきりしたカラーリング。う~ん、エスプリです。オプションを付けるとスキーのヘルメットにも早変わり。アタッチメントという設計思想は好きです。

出来たばかりのブランドなので、当然日本国内ではだれも持っていないヘルメットだと思われます。気に入りました。早速注文しようと思ってます。どうです、カッコイイと思いませんか?







2011年2月11日金曜日

やっぱりあるんだな、カヤック高校

ポーツを教育の柱の一つにして高校生活を過ごせるボーディングスクールは意外と多く、テニス、ゴルフの分野では一流プレーヤを輩出する有名校もあります。

New River Academyはカヤックのボーディングスクールです。カヤックをしながら大学入学の資格が取れるという学校です。ボーディングスクールというとエスタブリッシュメントが入学する進学校というイメージが強いですが、こういった特色のある学校も結構あるようです。サマースクール、ギャップイヤー(日本も雇用の調整弁としてギャプイヤーを採用すればいいんですがね)のプログラムもあるようですね。いかがですか? お子さんを入学させますか?




2011年2月9日水曜日

DECの創設者Ken Olsenの死を悼む

つかこの日が来ると理解はしていたが、Kenの突然の訃報に力が抜けた。若かった僕にとっては遠い存在ではあったが、今僕が一人だち出来ているのもDECに拠るところが大きい。1984年に社会人になった僕は、JUNETがやっと東大、東工大で接続される前に、既に社内で自由にDECnetを使えた。当時既にアカウントだけはすべての社員に割り振られていて、情報はメールを通して社員に配布されていた。電子メールがなんとか国内で普及した電子メール元年が1996年頃なので、DECの社内ではそれよりも10年以上前から普通に電子メールを使っていたことになる。いかにDECが進んでいたか今更ながら感心する。

バッチ処理とCP/Mしか使ったことがなかった僕にとって、タイムシェアリングのVMSは衝撃だった。とても美しいOSだと思った。今から30年も前のOSだが、OSの中に既に「フォン」と呼ばれるIMや、BBSが組み込まれていた。VMSは今でもとても思い入れのあるOSだ。

DECのコンピューターの考え方は、当時の汎用機のアンチテーゼであり、自由で、独創的で、画期的だった。自由の利かない汎用機が官僚的なIBMの象徴だとすれば、DECはその真逆のメッセージをアーキテクチャーに潜ませていた。若い僕にとっては、それが自由の象徴のように見えた。

20代後半からマサチューセッツ州の本社で働くことになった僕は、時々Kenと会うことが出来た。Kenは熊のように大きかったような印象がある。彼が成し遂げた偉業がそう見せたのかもしれない。

僕は、コンパックの買収によってDECは消滅したとは思っていなかった。Kenの死をもってDECは完全に歴史となってしまった。いままでの彼の貢献に感謝したい。KenとDEC無しでは、今の僕は存在しなかった。ありがとう、Mr. Olsen。